東京地方裁判所 昭和54年(モ)10670号 判決
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【判旨】
四次に、債務者らは特別事情の存在を主張するので、この点について検討する。
1 民法は、遺留分権利者が原則として減殺請求の対象とした目的物自体の返還を請求することを前提とした規定を置いてはいるが、同時に、同法一〇四一条において、減殺請求を受けた者は、遺留分権利者の目的物自体の返還等の請求とは係りなく、いつにても減殺を受くべき限度において目的物等の価額を弁償しその返還等を免れ得る旨定めていることからすると、遺留分権利者が減殺請求権を行使することによつて取得する権利は、終局的にはその目的物等の価額を弁償するに足りる金銭的補償をもつて十分その目的を達成することができるものというべきであり、したがつて滅殺請求の対象となつた目的物の返還請求権あるいはその共有持分権に基づく所有権移転登記請求権等を被保全権利とする仮処分決定についても、特別事情の存在を理由として取り消すことができるものと解する。
<証拠>によると、信雄の遺産の大部分は本件各土地及び別紙第二物件目録記載の各土地建物であるところ、債務者らが相続税申告のために算定した取得財産価額は総額で一二億六三九一万六一七六円にのぼり、うち右土地建物の総価額が一二億四九〇一万五一九〇円で全体の約98.8パーセントを占めていること、これに対し、本件各土地の総価額は二億〇二〇五万三九二四円で右土地建物の総価額の約16.2パーセントで、債権者らが減殺請求の結果取得した共有持分の割合合計一五分の二に相当する価額は二六九四万〇五二五円で、右土地建物のわずか約2.2パーセントにしかすぎず、したがつて、債務者らは本件各土地建物の価額によつて債権者らが本件各土地に関して有するに至つた共有持分権の割合に相当する価額を十分弁償し得ることが認められるうえ、信雄の遺産を構成する土地建物のうち、信雄の単独所有名義のものは別紙第一物件目録(九)ないし(一三)記載の各土地、別紙第二物件目録82記載の建物及び同目録84記載の土地のみであり、訴外山下敬夫及び訴外山下美智子との共有であつた別紙第一物件目録(一)及び(二)記載の各土地を除くと、その他の土地は別紙第二物件目録の共有者名欄記載のとおり、債権者らの実父である武雄との共有名義となつていること、これらの土地の大部分は賃貸地として利用されているため、債務者らにおいて信雄の共有持分のみを譲渡することは困難であり、また武雄の共有持分と併わせ譲渡することについては武雄の同意が得られにくい情況にあることが認められ、したがつて債権者らが本件各土地以外の土地によつてその価額の弁償を受ける保証の程度は相当高いと考えられる。
他方、<証拠>によると、債務者らは昭和五四年四月三日渋谷税務署に対し信雄の遺産相続に基づく税額を合計三億九六二七万六七〇〇円として相続税の申告をなし、同月五日信雄が所有していた有価証券の売却代金等により二五〇二万六七〇〇円を納付したが、いまだ三億七一二五万円の相続税については未納となつていること、債務者ら自身はさしたる財産を有していないため、右相続税の納付資金は信雄の遺産の中から捻出しなければならないところ、右遺産の大部分は前記のとおり土地建物である関係から、債務者らとしてはその一部を売却したうえでその代金をもつて納税に充てることが必要であること、相続税を延納した場合には年5.4パーセントの割合による利子税が加算され、初年度の利子税のみでも二〇〇四万七五〇〇円にものぼるため、債務者らとしては早急に右相続税を完納する必要に迫られていること、そこで債務者らは納税計画を立てているところ、信雄の遺産である土地建物のうち現実に売却できる見込みが立つているのは別紙第一物件目録(一)及び(二)記載の各土地のみであり、これらの土地については既に昭和五四年三月一三日共有者であつた訴外山下敬夫及び訴外山ド美智子からその共有持分について債務者らが贈与を受け、債務者らの共有名義とした上で売買の交渉を行つており、本件仮処分決定が取り消された場合には速やかに譲渡し、その代金でもつて右相続税の一部を納付し、その余の相続税については渋谷税務署に対し延納の許可を求めることとしているが、その許可を得るためには利子税の分も含め延納額相当の担保を提供する必要があり、この点については同署の係員から第一に信雄単独所有名義の土地を、第二に担保価値の高い更地の提供を求められているため、信雄の単独所有名義である同目録(九)ないし(一三)記載の各土地及び武雄との共有名義ではあるが更地で担保価値の高い目録(三)ないし(八)記載の各土地(同目録(五)及び(六)記載の各土地については既に昭和五二年一二月一〇日東京都より差押えを受けており、その公売後滞納金を支払つた残金でもつて相続税を納付することを考えている。)を右延納許可のための担保に提供することを予定していることが認められ、したがつて、本件各土地についての仮処分決定が継続する場合には、債務者らは右納税計画の実行ができず、延納許可申請も却下されたうえ、国により滞納処分が行われるおそれが大で、その結果、債務者らが通常予想される以上の損害を蒙ることが十分考えられる。
2 ところで、債務者らは、相続税の納税義務は債権者らも債務者らと同様に負担しているのであるから、その必要性は特別事情の理由とはならない旨主張するが、特別事情となる事由の範囲については法文上も何ら制限がなく、公平の理念から仮処分に関し特別事情による取消しの制度が認められている趣旨からすると、債務者らの主張する相続税納付の必要性も特別事情を判断する事由として考慮することができるものというべきであり、また債務者ら主張の相続税額は債権者らの遺留分について顧慮することなく、信雄の遺産の全部を債務者らにおいて相続することを前提として算出されたものではあるが、債権者らの有する遺留分は合わせても全体の一五分の二にしかすぎず、また相続税の申告は相続開始を知つた日の翌日から六か月以内に行われなければならず、右申告により債務者らの納税義務が一応確定することになることを考え合わせると債務者ら主張の相続税額を一応の判断基準とすることもあながち不当とはいえないのであるから、結局、債権者らの右主張は採用しない。
3 次に、債権者らは、債務者らが主張する相続税の納付計画につき、本件各土地以外にも譲渡可能な土地、担保価値の高い更地がある旨等主張するので検討する。
まず、本件各土地以外に譲渡可能な土地が存するか否かの点についてみるに、<証拠>によると、別紙第二物件目録1記載の土地を武雄及び信雄から賃借し、その地上に建物を所有していた訴外今井充子が、昭和五二年五月頃、武雄及び信雄を相手方として当裁判所に対し訴外岩村寿悛に右賃借権を譲渡することの許可を求める申立をなしたことは認められるけれども、その後申立は取下げられたまま、現在においては、右今井充子において右賃借地を購入する意思はないことが認められる。また、債務者主張の同目録23、76ないし78記載の各土地については、前記認定のとおり、武雄がそれぞれ三分の一あるいは二分の一づつの共有持分権を有しており、現状においてはその持分権の譲渡につき武雄の同意が得られにくい状況にある以上、債権者らの主張をそのまま授用することはできず、その他の土地については本件全証拠によつてしてもその譲渡の可能性を認めることができない。
次に、本件土地以外の土地の担保価値についてみるに、<証拠>によると、信雄の単独所有名義となっているのは、別紙第一物件目録(九)ないし(一三)記載の各土地のほかは、別紙第二物件目録84記載の土地だけであるが、この土地は武雄の所有地に囲まれているうえ本件仮処分決定により既にその処分等を禁止されていること、武雄との共有地のうち更地となつているのは、別紙第一物件目録(三)ないし(八)記載の各土地のほか、別紙第二物件目録19、39、76、77、81、83、85ないし100、110、112及び123ないし126記載の各土地であるが、そのうち同目録81、83、85ないし87、110及び112記載の各上地については本件仮処分決定により既にその処分等が禁止されていること、同目録39、76及び77記載の各土地は駐車場等として賃貸されていること、同目録87ないし100及び123ないし126記載の各土地は債務者らが主張する別紙第一物件目録(三)ないし(八)記載の各土地と比較すると、その面積に比し評価価格はさして高くはないこと、そのほか、債権者らが主張する別紙第二物件目録18、33、34、37及び41記載の各土地についてはその一部について更地があるだけであり、その余の部分は賃貸地として利用されており、右更地部分のみの分筆については武雄の同意がない限りできないこと、そうすると債務者らが主張する前記各土地のほかで担保価値があると認められるのは同目録19記載の土地のみであること、しかしながら債務者らが担保に提供するのを予定している別紙第一物件目録(三)ないし(一三)記載の各土地の総額は一億五八七九万五四二二円しかなく、同目録(一)及び(二)記載の各土地の価格を加えても前記のとおり二億〇二〇五万三九二四円であつて、債務者ら主張の相続税額には充たないことが認められ、したがつて右各土地以外にも更に担保となる土地が必要となつてくることが十分予想されることからすると、債務者ら主張の納税計画を不当であると非難することはできないものというべきである。
また、<証拠>によると、信雄の遺産を構成する預金、有価証券等は一〇三〇万〇七八七円しかなく、その一部は既に債務者らの相続税納付金の一部として使用されていることが認められ、この点についての債権者らの主張も採用できない。
4 以上検討してきた結果を総合考慮すると、本件各土地に対する仮処分決定を取り消した場合にも債権者らにおいてはさしたる不利益はないのに対し、右決定を継続する場合には債務者らは通常予想される以上の損害を蒙る結果となることは明らかであり、結局、債務者らの特別事情の存在の主張は理由があるものというべきである。
5 そこで、本件各土地に対する仮処分決定を取り消すに当り、債務者らに立てさせるべき保証金の額について検討するに、この保証金は仮処分決定が取り消されることにより債権者が蒙る損害を担保するものであることからすると、その金額は結局諸般の事情を考慮した上で裁判所が自由な意見をもつて定めることができるものと解すべきであるところ、本件においては、債権者らが主張する被保全権利は前述のとおり遺留分権利者として行つた減殺請求に基づくものであり、右権利自体において金銭による弁償によつて満足すべき性質を有していること、仮りに本件各土地に関する仮処分決定が取り消されたとしても、債権者らが蒙る不利益は、前記認定のとおり、さして大きなものとは考えられないこと、債権者らが本件仮処分決定を得るに際し、債務者らのために立てた保証の金額は、右仮処分の対象とした土地建物に関する固定資産土地、家屋課税台帳に登録されている評価額を基準として算定されたものであり、<証拠>により認められる右土地建物の評価額に対し、処分を禁止した債務者らの持分割合を乗じて算出した価額の合計額の約0.21パーセントであること等の事情があることを考慮すると、本件各土地に関する仮処分決定を取り消すに当つて債務者らに立てさせるべき保証金の額は、債権者ごとに各三〇〇万円づつ合計六〇〇万円とするのが相当である。
(川口宰護)